2024/03/19

【本メモ】a+u 1989年3月臨時増刊 レンゾ・ピアノ 1964-1988

『a+u 1989年3月臨時増刊  レンゾ・ピアノ 1964-1988』p14-16に良いことが書かれていたので下記にメモ。
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ロベルト・ファプリ:
ピアノさんは建築家の仕事は「普通の」仕事であるといっておられます。つまり建築家が芸術家であるという神話は認めないということですね。では「普通」の建築家であるということはどういうことなのでしょうか。

レンゾ・ピアノ:
かなり以前から建築家の職能的役割は時代に適合したものでなくてはならないという考えを持っています。さもなければ,水売りとか騎兵将校といった多くの職能と同じように建築家の職能は次第に消滅し,無用の物となってしまうでしょう。時代に即応するということはふたつの基本的な問題に関わります。そのひとつは建築家と施主との関係の「通常性」です。建築家は施主に対して業務を行なうことが仕事です。このことは本質的な側面です。建築家は「聞き手になる術」を身に付けなければなりません。施主のこと,そのニーズや要望,さらに施主自身でさえ明確につかんでいないことを聞きだす術のことです。

ロベルト・ファプリ:
それは施主のいうことがつねに正しいということを意味するわけではないんでしょう。

レンゾ・ピアノ:
その通りです。要するに建築家は,初めから自画自賛したり自己主張したりしてはいけないということです。自分のやり方を押し付けるのはもっと悪いでしょう。
私が設計を始めるに当たって心がけるもっとも重要な事柄のひとつは,物事をある程度突き放してみるということです。自分自身を皮肉に見るくらいにまで離れて考えるべきです。
もうひとつの問題は能力です。16世紀の建築家が,設計者として果たした役割の持つ権威について考えてみましょう。当時は建築家が建物を創作し,実現し,さらにそのための道具を設計したのです。建築家はそれなりの権威を持っていました。建築家は実像であったのです。
数世紀に渡って,建築家は建設の領域から次第に離れてゆきました。建築家は自らの手を現場で汚すことを望まなくなりました。こういった思考と実行の分離は,芸術のあらゆる領域で見られます。しかしわれわれの領域においてはそれはカタストロフィです。実行することから得られる経験的,技術的フィードバックが欠落しているので,能力不足が生じるのです。私自身はこのような頭と手の分離に苦労したことはありません。私の家の先代と先々代はすべて建設業でした。たぶんが盾するようですが,このおかしな生まれが,世間が私を普通の建築家と看做すことを妨げているようです。
物事の微妙な意味をつかむには耳を傾けなければなりません。昔の建築家がやったように,道具や機械を発明するくらいの能力が必要です。これは禁欲的な説法ではありません。私はボーイ・スカウトとは関係ありませんから。私が興味を持っているのは建築をつくることです。


建築修行の始まり:部分から

ロベルト・ファプリ:
ピアノさんは実際に建設現場で過ごされたことがおありなんでしょう。

レンゾ・ピアノ:
はい。私は10歳の時から父親のところへでかけるようになりました。そこで覚えたことはあまりないのですが,建築をつくる他の方法を嫌うようになりました。他の方法とは若い学生に「大胆なコンポジション」とか「均整のとれたヴォリューム」とかについて語らせるアカデミックな方法のことです。私は異なったスタートから始めたわけです。その当時の私にとって,建築とは超軽量の部品がうまく組み合わさった奇跡のようなものでした。

ロベルト・ファプリ:
そうしてチャレンジする味を覚えたのですね。

レンゾ・ピアノ:
それだけではありません。私は科学もできましたし進歩的な人文的意識も同時にありました (これはまさにイタリア的伝統の産物です。私は間違いなくそれを受け継いでいます)。ですから私は自身を技術に身を捧げた人のようには思っていません。私は人文主義者であると同時に,自然科学者でもあるのです。
初めの頃は,わたしは部分部分を追求しました。建築の部分を設計したのです。あらゆることを考えましたが,いわゆる「建築」についてはまったく考えませんでした。それよりむしろ,それらは建設における実験だったのです。エレガンスを周到に追求することは暗黙の了解であり,当然のこととされていました。私は次第にこの考え方から離れてゆきましたが,ディテールに対する強い関心は残りました。それはわれわれの事務所がビルディング・ワークショップと呼ばれる由縁です。そこは自分たちで部品をつくる本物のワークショップです。私はワークショップの考え方が好きなのです。その理由のひとつは,ワークショップでは,見てくれだけではなく,製作の方法まで手を下せるからです。
部分を追求していた時期に,私は他のことも学びました。全体のレヴェルと部分のレヴェルを同時に進めなければならないということです。つまりプロジェクト全体とともに,初めからディテールを追求するべきなのです。このことについてはジャン・プルーヴェに負うところがあります(ちなみにこれは日本の建築方法の特徴でもあります)。私はよくいうのですが,建築は忍耐のいるゲームです。建築をつくるということは,激しく創造的な芸術家の本能的な行為ではなくチーム・ワークなのです。ここが重要なんですが,忍耐強くあるということはけっして説法じみた意味ではないのです。実際,私がチーム・ワークを進めるのに,理屈じみた民主主義を通しているわけではないのです。
私はこのように仕事をすることを経験を通じて,人文科学的,自然科学的,社会的および組織的な創造性を区別することなく学びました。孤立した英雄的創造がわれわれの職業に存在するとは私には思えません。

ロベルト・ファプリ:
今日では学際的交流が叫ばれていますが。

レンゾ・ピアノ:
けれど実際やっている人は多くはないでしょう。学際的交流とは,技術者,物理学者,技能者,そしてまとめ役の人がすべて等しい立場に立つということです。私はフラヴィオ,アラン,ピーターやトム,俊二,憲明,ベルナールとそういうふうにやっています。すべての序列をなくさなければなりません。たとえそれが効率に反してでもです。他の方法はありませんから。習慣や防衛的な態度,そして間違いに対する恐れによるわだかまりを取り去るよう心がけなければなりません。間違いをしても,それを認めーからやり直す心構えが必要です。